可動人形日記
1997年下半期分


1997/12/26

 コミケでビックリするほどたくさんの螢子ファンが訪ねてくれる。武内直子先生もカメラ持参でいらっしゃり、いっぱい撮っていかれる。私も先生に螢子を持っていただいて撮影★ 友達が螢子のコスプレをして売り子もしてくれる★ が、とっても寒そうだった。ゴメンネ。でも夏にまた見せてネ★

 
1997/12/24

 螢子人形、ノアドロームで一般販売開始

 
1997/11頃

 セーラーマーズ人形を入手。当然のようにミュージカル版に…って改造していたら、なぜか別人のアブナイ表情の女性がそこに…。エコエコのビデオ観ながら作っていたのが原因だろうか? その瞬間、ひな子さんと命名、ここから螢子の周辺設定が少しずつ出来上がり始める。螢子の受難の始まりとも言える(笑)。

 
1997/10

 ノアドロームに行く途中に、ほたりっくな歯医者さんを見つける★ ほたるの将来の夢は看護婦さんだったけ。ここに通院すれば会えるかな?(←会えません)

 
1997/11

 かねてから気になっていた特殊シリコーンゴムを入手。折を見ては実験してみる。

 
1997/11

 OLYMPUSのデジカメ「C−1400L」を購入。勢いでライトやらも一式揃える。ここから螢子人形撮影に燃える(笑)。と同時にしばらく私の財政をかなり圧迫する(涙)。

 
1997/10

 撮影しまくる日々が続く(笑)。だけど、環境から撮影状況の限界(笑)を感じる。マイデジカメなら自宅でじっくり撮影できるんだなァ…。

 
1997/10

 御世話になっている編集の方がOLYMPUSのデジカメ「C−1400L」を購入。あまりの高性能にデジカメの偏見が氷解、編集部に螢子を持ってきて撮影しまくる(笑)。でもピンボケだし露出もバラバラ。なにしろカメラなんて持ったことなかったんだもん。

 
1997/10頃?

 商品版螢子、「monoマガジン」に掲載される。デニーズの衣装を来ていてとってもかわいい。顔の造形も良い感じ。これならみんな買ってくれるかな? それよりデニーズの衣装が気になる(笑)。

 
1997/09頃?

 スーパーフェスティバル。セーラープルートを入手。当然ミュージカル版に改造する。

 
1997/09頃

 デジカメを買えばと勧められる。たしかエ○ソンの5〜6万円の機種だった。でも、購入を決意させるまでのインパクトがなく、ウヤムヤのうちに終わる。今思うと、ここで買っていたら負けだった。

 
1997/09頃?

 試作サンプル、難産の末、いちおう完成。余興で作った○菜のほうが好評で複雑な気分になる。

 
1997/09頃?

 試作サンプル、オリジナルの雰囲気が全く出ず、かなり悩む。気分転換に違う顔のキャラ(DESIREの中森○菜風)を作って楽しむ(笑)。

 
1997/08頃

 ノアドロームさんに、螢子人形を商品化しないかというムチャな話を持ち掛け、二つ返事で乗ってくださる。螢子への愛と 私の熱意が伝わった♪ 矢村店長はこちらの意見をちゃんと聞いてくださるナイスはおじさま★ 取りあえず、商品用サンプルを試作することに。

 
1997/08頃

 ワンフェスでマーミットの風間準を購入、胸部を移植するという、凶悪な手術を行う。思えば,これがノーマルなドールライフとの決別だったような気が…。なんか吹っ切れたってやつ?(笑)

 
1997/08/??

 ワンフェス。毎回10万円はガレージキットを買っていたのに、この時は3万円くらいしか買わない(←威張ることではない)。でも、ドール用衣装は10万円くらい買う…(汗)。セーラームーンとマーキュリーのドールを入手。改造してミュージカル版にする。アンザは似せや すくて楽しかったな〜★

 
1997/07

 新声社の旧ナコルル人形(赤&紫)を通販で入手。1体¥6,000なり。服だけ螢子用に剥いで、頭は塗装練習に使う(!)。旧ナコがすごいプレミア人気があるとは後で知る。知ったところで何も変わらないんだけど(笑)。

 
1997/07

 「'97東京攻略マップ」発売、内外で予想以上の反響★ 螢子の虜になった人からファンレターが続々届く(!)。

 
1997/06?

 武田恵子ちゃん引退の報を聞く。ショックで1週間失踪して各方面で大顰蹙を買う(笑いごとじゃないってば)。

 
1997/05?

 攻略マップ用の撮影のために、螢子をインタニヤ(撮影スタジオ)に一晩預ける。今考えると、後にも先にも螢子を他人(←笑)に貸したのはこれっきり。今だったら絶対に持ちこんで立ち会う(笑)。

 
1997/0?

「モデルグラフィックス」でふじたゆきひさ先生が、SAボディにガレージキットの葛城ミサトの頭をつける作例記事を発表。「ああっ先にやられた! …でもふじた先生ならいいや」…私はモ子ちゃんからの大ファンだったのだ。

 
1997/0?

 あまりの熱の入れように、「東京攻略マップ」に載せてもいいよとのありがたい御言葉! さらに改造に熱がこもる。螢子と遊んでても、仕事してるからと言い訳が立つ(笑)。素晴らしい環境だ♪

 
1997/上半期

 どこに行くにも螢子人形をカバンに入れて連れて行き、誰それかまわず見せまくる(笑)。どう考えても異常である。交通事故にでもあったらどうするつもりだったのだろうか?

 
1997/03頃

 ひじの二重関節Ver.1完成。この頃はヒマさえあれば、新しいギミックを考えるか製作していた…。今でもそうだけど(笑)。

 
1997/01頃

 今度こそ完成。今度はこの頭を乗せるに足るボディの製作に入る。

 
1996/12某日

 マイペースで製作してきた螢子の頭部完成。いい気分。遊びにきた友人に自身満万に見せると一言。「かわいくない」とっても傷つく(笑)。悔しいのでムキになって修正を続ける。

 
1996/09某日

 知人のTAC☆にスーパーアクションジェニーの存在を教えられ、横浜の高島屋おもちゃ売り場で購入。領収書を頼んだら、「事務所にいかなければ領収書がないので5分ほどお待ちを」と言い残して去る(笑)。まだ包装されていないジェニーをほったらかしのまま待たされて大ピンチ(笑)。 私の後ろには、何やってんだとこっちを睨むオバサマやお子様の列が…。しばらく高島屋恐怖症に陥る。みんなも横浜高島屋で領収書は頼んじゃダメだ。

 
1996/08某日

 ワンフェスにて偶然ママレー○ボーイの亜理実ドールを¥1,000で購入、いきなり好みの顔にならないかと削り出す。この日阿重霞さんも購入、かなめにとってのドール元年となる。


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